スゴ腕ナンパ師と私の共通点

「スゴ腕ナンパ師は、相手を人間だと思っていないからうまくいく」という話を聞いた時、その真偽はともかくとして、私もまさに同じことしてるわって思った

日々たくさんの人とつきあう中で、私もやはりある意味相手を「人間だと思っていない」

 

私は普段から皆にイイ顔をする

たくさんの人に親切にする

そのたくさんの人たちのことは、確かにどうでもいいと思っている

だからイイ顔ができる

どうやら私のその態度が一部から反感を買っているようだが、何が悪いのか

 

そのたくさんの他人たちは、お互いにお互いの人生に通りすがっただけで、笑顔で「こんにちは」と挨拶することの、何が悪いのか

通りすがりの他人ひとりひとりに、挨拶するだけなのにいちいち感情移入しないとダメなのか?

心からの笑顔以外は犯罪なのか?

幼稚園で言われなかったのか、人には親切にしなさいって

まともに挨拶もできないような人間になりたいか?

そんな人間でいることが、心地いいか? 

 

相手がどんな人間か分からない以上、とりあえず「私は敵対するつもりはないですよ」と信号を送っておいて、それから相手の出方を待つ

間口を広く設定し、浅く掘る

だいたい人間を「分かる」なんて時は永遠に来なくて、その人自身だって「自分ってこんな人間だったのか」って良くも悪くも驚くことってあるよね

そんなの、他人だったら益々分からないでしょ

「この人だったら少しくらい私のポリシーに反すること言っても全然許せるわ」みたいなフェーズが、現実的な着地点じゃないか

お互い少しずつ信号を送り合うという交流を通じて、どの程度気持ちを割けるか自分の中で答えを用意する

そして初めて「相手を人間だ」と思ってつきあう

 

人間って、そんなにイイものでもないよね

いや、イイはイイんだが、人間とつきあうって相当本腰入れないと私にはできないよ

イイものばかりではない、ということ

相手の良くないところが見えてツラいこともあるだろうが、それよりツラいのはその相手によって自分の良くないところが見えること

相手の良くないところからは目はそらせるが、自分の良くないところに一旦気づくと目をそらすのは無理がある

「相手を人間だ」と思ってつきあうというのは、こんな風に自分の人間の部分も連動することになる

コストが膨大すぎて、出会う人全員にはこんなつきあい方はできない

だから出会ったばかりの人、あまり親しくない人、もっと言うとどうでもいい相手にこそイイ顔がしやすい

一番イイ顔がしやすい赤の他人にさえ親切にできなかったら終わりでしょ

 

「相手を人間だ」と思った時、自分も勇気を出して自分の考え、思っていることを話してみる

相手から「こいつ頭おかしい」って思われるかも知れなくて怖いけど、安全圏からのコミュニケーションなんて何にも発展しない

相手の話を聞くというのも、確かに人間は自分のことをしゃべりたがりなのかも知れないが、こんな話して嫌われたらやだなということも常に思っているはず

どちらか一方だけでなく、お互いそういうリスクを払いながら交流をしていく

それが「相手を人間だ」と思ってつきあうってことなんじゃないの?

 

挨拶程度の相手に、そんなリスクを負わせるわけ?

そりゃ無茶でしょ

相手のことをどうでもいいと思ってイイ顔すること

相手のひとつひとつをジャッジして陰口言うような人づきあいより、よっぽどマシだと思うけどな