劇団桟敷童子『蝉の詩』感想

千穐楽おめでとうございます。

これまで以上に人間への愛を感じさせる作品だったと感じました。

 

特に男性キャラに割り振られた、一般的には「弱さ」と形容される行動が一段と痛烈に描かれていた気がします。
また女性キャラにあてがわれた「社会構造的」抑圧は、より一層激しく、厳しく、皆さん傷だらけで身体中から血潮を噴き出させながら、しかし歩みを止めない感じで、観てる方としては苦しみの追体験をせざるを得ませんでした。
この作品を提供するにあたり携わった皆さんは、いつもホント容赦ないけど、今回はもう既に磔の刑に処されてる人の脇腹を槍でグサグサ突いた上に、刺したままグリグリえぐっているなあ、くらいの感想を持ちました。

 

なんで男性・女性とハッキリと分けるかというと、主人公が4人姉妹だという物語上の構造もそうなんですが、女性キャラに割り当てられた人間的「弱さ」は、男性キャラと違い社会構造の構造的暴力が明確に分かる描き方がされていたように思うからなんです。
社会構造的に退路を断たれ、抑圧の苦しみに吸い込まれ呑み込まれていく過程で副次的に現れていたというか。
板垣桃子さん演じる主人公の一番上の姉、壱穂がヒロポン中毒になるのも、壱穂自身の弱さというよりも「自分が家族を守らなければ」という社会の中で逃げ場がない中いわゆる「女を捨てた」状態で生きることを自ら強いてトラック運送業を切り盛りしていて、ふと出来た「隙」につけこまれてしまっていることが一目で分かります。

 

一方男性キャラに割り振られた人間的「弱さ」は「この男が悪い」って個人の資質のせいにパッと見思えちゃうんですよ。
中野英樹さん演じる稲盛善晴が、長年意中の人であったみょんふぁ(洪明花)さん演じる主人公のすぐ上の姉輝美に「うちは男の人に愛されるような女じゃないとです。終戦の年、アメリカ兵に犯されたんです」って告白された時「言わなければ分からなかったのに、なんで言ったとですか」と淡々と告げて輝美を置き去りにする場面。
普通に「コイツ最低やな」って思いましたけど同時に「ひとりの男性をここまで追い込むなんて、この作品にはどこまでもリミッターは存在しないんだな」とゾッとしました。

 

わざわざ書く必要ないと思うんですが、こうやって愛する人の痛みを受け止めきれなかったという、自分を責めるしかない悔やみきれない後悔をキャラに背負わせるっていうところですよね。
しかも輝美の自殺はギリギリ一命をとりとめたというエピソードを作って観客を安心させたと思ったら「今日がうちの7日目」ってしばらくのちまた自殺を試みて、今度は完遂されてしまうんですよね。
え〜〜一度助けたじゃん、おいおいそりゃないよ(良い意味で)っていう展開。
最初の自殺未遂で輝美が病院に運ばれていって皆がやきもきするシーンで「あ、これ輝美は助かるんだな」って思ったけど、まーた死なせるんかい、って。
で、これで稲盛はもう後悔って言葉が生ぬるいような、自らの言動によって引き起こされた悲劇の最大の犠牲者になっていくんですよね。

 

でも、これって、稲盛は確かに最低な男っていうそしりは免れないですけど、でも思い返すと稲盛はいつも片脚を引きずって歩いていたんですよね。
そして軍隊気質が抜けないっていう描写もされていましたし、昭和25年時点でゲートル巻いてましたし。
つまり稲盛自身も戦争そして直接的にはアメリカ兵による暴力を受けた被害者でもあるという、社会的弱者が社会的弱者を殴るという劇団桟敷童子のお家芸的な悲劇が繰り広げられている訳で。

 

以前は、劇団桟敷童子の「ズルい男」像と言えば、主演の池下重大さんが川原洋子さん演じる恋人そっちのけで板垣桃子さん演じるヒロインに惹かれていって実際に行動に移しちゃうという形で繰り返し描かれていました。

 

残念ながらここ数年の公演は皆勤できていないので確からしい事は言えないのですが、ぼんやりと感じることは、作品を形づくる重要な要素のひとつとして描かれていたエンタメ性のある恋愛が、恋愛を通し人間のやりきれない感じを炙り出していくという場面設定としての役割に相当ウェイトが置かれるようになってきたんじゃないかなということです。
恋愛模様そのものもかなり見応えがあるのですが、終演後の印象としては恋の情緒的なもの以上に、そこで体現された人間の擦り切れそうになるやりきれなさが大きく残るんですよね。
今回の稲盛と輝美のように。

 

ここまで書いて自分でもどこが人間への「愛」なのか全く書いてないなって思うんですが、つまり観客としては稲盛のこと最低でどうしようもないって思うんですけど、追っかけで哀れさがどんどん増してきて、こんな悲劇の中「墓守の稲盛」とダジャレかましながら生きていく稲盛へエールを送ってるなあと感じさせるレベルにまで到達してて本当にお見事としか言いようがありません(偉そうでスミマセン)。

 

そうさせる一番の見せ所は、主人公4姉妹の父である佐藤誓さん演じる鍋嶋六郎と、壱穂による稲盛への復讐行為としての暴行の激しさでした。
「今までの作品ならこのへんで加害者が諦めるか、誰かが仲裁するでしょ」ってラインを軽々と超えて予想の4倍くらいの時間を暴行に割いてるんですよね。
「これ稲盛がリンチ死する展開では」と予想してからさらに3〜4分くらいは続いてた気がします。
暴行シーンの最後は稲盛の上半身を物陰の背後に置いて「芝居だから本当は殴ってないよ」っていうのが通用しない演出になってて怖かったです。

 

こんなに長い暴行シーンでも集中して観れたのは、佐藤誓さんと板垣桃子さんの底の厚い芝居というか、ありきたりな言い方ですが表現力の厚みがすごいという感想しか出てこないですよね。
あ、いやいや、中野英樹さんの、既に自分自身に打ちのめされた稲盛という像もお二人に十二分に呼応していて、それで成り立ってたと思います。
普通、間延びしちゃうんじゃないかなってくらい長かった。

 

長かったからこそ、観てる間に印象や感想が変わってくるんですよね。
最初は「稲盛コノヤロウうちもしばいたるわ」って気持ちなんですが、だんだん「稲盛痛そう」ってなって「もうやめてあげてよ〜〜」てなって「でも鍋六も壱穂も、悲しみに駆り立てられて止まらないんだな……周りもそれを分かってるから止めないんだろうな」っていう感じで。

作品を作る側が容赦なく登場人物を追い詰めていくことで、逆にキャラへの愛情がめっちゃ伝わってくるというのを体感しました。

 

このエピソードは主人公の織枝が抱えてきた悲劇の一端に過ぎませんが、他にも悲劇がぎょうさんミルフィーユのように積み重なっていて、ラストのほうで織枝を演じる鈴木めぐみさんが「まだ生きらないかんのか」ってセリフを言うんですけど普通に「このまま死なせてやって」としか思えなかったです。
そんな辛すぎるキャラに「生きろ」と絨毯爆撃するのってホントしんどいと思うんですよ。
1回観ただけの私がこんなにしんどいので、作品を作る側の皆さんのしんどさ耐性は超人レベルだなーって思います。
これとずっと向き合っている訳ですから。

 

ここまでの感想に盛り込めませんでしたが、他に印象的だったシーンと俳優さんについて少し書いて終わりにしますね。

 

やっぱり板垣桃子さんは素晴らしくて、初登場シーンは細いスポットライトの中に静かに佇むんですけど、それだけでカッコ良すぎて卒倒しました。
またこういうシーンが観たいです。
というかスポットライトのみで延々と板垣さんが語るだけの芝居とか観たいです。
劇団桟敷童子で。
細かいですけど最初の昭和25年のシーンで下ろしていたもみあげ部分の髪を、その後耳にかけ顎を見せるようになって雰囲気が一変し、壱穂の変化が効果的に描かれていてさすがすぎるなと思いました。
あとは笑いを取るシーンはいつもの手腕が光っていて、物語の終盤にまで散りばめられたいくつもの笑いの彩りがホント鮮やかでした。

 

みょんふぁ(洪明花)さんが演じた輝美は、こういう表現はあまり好きではないんですけど、いわゆる「昭和の美人」そのもので、声の響と喋り方も昭和系美人薄命でした。
花柄のワンピースに包まれた身体が、軽やかで儚すぎて辛かったです。
特にさっき書いた「今日がうちの7日目」っていうシーンのたたずまいが優しく幻想的で素晴らしかったです。
舞台のちょうどど真ん中くらいの位置で、ボロ長屋の縁側に立って、輝美だけがぼーっと浮かんで光っているような美しいシーンでした。

 

稲葉能敬さん演じる浦崎仙造も人間の「弱さ」を負わされた人物で、それが「個人の資質」のように見えてしまうという悲劇性が強く印象に残りました。
酒や女遊びを結婚後もやめられなかったのも、鍋六に代表される周りの同じような男達に引きずられていってたのが丁寧に表現されていたんだなあと思います。
別れても元妻を忘れられない憐れな男に見えるんですが、というか確かにそれはそうなんですが、そうなってしまった境遇が悲しかったです。

 

深津紀暁さん演じる倉橋茂徳は、まさに戦後の新しいタイプの男性という感じで、それが飄々とした空気読まない変な人っぽいキャラ造形によって嫌味度が薄まってて、そういう人なら織枝を包んでくれるだろうと思いました。
喋り方が独特ですごい効果的だったな、と振り返って思います。
「変わった奴やな〜」と思ってたらいつの間にか優しさ溢れる人間になってて、鍋六を刺した織枝に、一番最初に駆け寄った行動で、信頼度を爆上げしていましたね。

 

川原洋子さん演じる馬原笑子は、辛くてもひまわりみたいに笑う系の女性キャラで、今回は本筋をサポートする立ち位置でしたけど、これまでの作品ではメインテーマとして扱われてきたものを一身に受けてるなあと思いました。
伝統が受け継がれていっているのが良く分かりました。

 

主人公織枝の幼少〜20代を演じた大手忍さんは、最後のほうの公園のシーンで、織枝から赤の他人へと切り替わるところが最も印象的でした。
鈴木めぐみさんの現在の織枝を一番理解してくれるはずの過去の織枝は、見知らぬ老婆を一瞥して何事もなかったかのように去るんですが、こうして私も普段は気にも留めない年老いた人たちって、こういう人の人生の厚みに思いを馳せたことなかったよな、って我が身を振り返らせる、全然説教臭くない爽やかな、かつ冷酷な芝居でした。
織枝は主人公なんですけど、本編の幼少〜20代では織枝の周囲の人たちにフォーカスした物語だったので、主役キャラだけど脇を固めるというバランス感覚が最高でした。

 

鍋六、鍋嶋六郎を演じた佐藤誓さんは「この人も大変なんだよね」っていう設定にも関わらず「しっかりしてくれよ頼むから」としか思えない造形が素晴らしかったです。

同情を誘わない同情を誘うキャラって、成立するんだ……と。
また原口健太郎さん演じる能塚忠治とのコンビネーションもとても良かったです。

 

原口健太郎さんは、能塚忠治は最後の最後でこの鍋六に愛想を尽かすんですが、その場面がとても静かな怒りと悲しみに満ちていましたね。
今までは鍋六みたいな「しっかりしてくれ」系キャラをよく演じてらっしゃいましたが、今回は作品の良心だったんじゃないかなと思います。
「もっと早くに殺せば良かった」って鍋六に言った時は「ホントそう」と思いました。

 

作品のもうひとつの良心であった忠治の妻ムネを演じた外山博美さんは、最初の方の、鍋六を刺した壱穂をなだめるシーンで既に「あ〜良心の人だ」っていう感じでやっぱりどこかで「ムネが母親だったらこんな悲劇にはならなかったんじゃないかな」っていう思いを捨てきれませんでしたね。

 

で、母親はっていうと、もちりえさん演じる土井垣亀吉で、初登場シーンカッコよくて失神しそうだったんですが「母親が自由に生きるには家庭を捨てるしかなかった昭和という時代」の女性像として、凛とした感じと泥臭い感じが同居してて良かったです。
最初出てきた時は「商魂たくましく時代を生き抜く女社長」っていう劇団桟敷童子における伝統的なキャラかな、って思ってたんですが、こんなに大きく本筋に関わるとは驚きでした。
養子にした倉橋が「母さんと呼ぶと照れるんだ」ってセリフが、地味に亀吉のズルさを描いていて、今回の作品の容赦ない感が随所に仕込まれてるなって感じしますね。
あと、どのシーンだか思い出せないんですけど、白っぽい着物で縁側に座ってたシーンがめっちゃ美しかったです。

 

そんな土井垣亀吉が実母だと、長姉ともども気づいていたという井上カオリさん演じる次女の菜緒は、一旦結婚に夢見て浦崎と一緒になったけどどうしようもない男浦崎と別れて商売と姉妹のために生きることを選ぶんですが、4姉妹の中で一番強かったのかなあと思ってます。
菜緒もホント不遇なんですけど、多分菜緒自身が自分より姉・妹達を不憫に思っていたから、観てる方としても強さという印象が残ったのかなって。
また織枝にとって、唯一きちんとお別れができた姉として、形見を残してくれた姉がひとりでもいて良かったと思いました。

 

作業着の下の赤いシャツが目を引いた枡田茂さん演じる松尾保は、倉橋とはまた違った新しい時代の男性というキャラクターで「しっかりしろ系男子」に囲まれながら真っ当に生きてるっぽくて安心しました。
壱穂へ渡して、と言われ受け取ったヒロポンを能塚に渡すあたり的確な判断はまさにGJとしか言えない好青年でしたね。

 

門倉千夏を演じた新井結香さんは、今回は台詞や出番は多くはなかったですが、壱穂と同時代を生きる女性として一緒に成長していく様がよく分かりました。
特にラブレターをめぐる発言は典型的な女性同士の友人関係という感じで背筋が寒くなりました。
織枝は主に家族との関係が多く描かれていたので、外ではどんな感じなのかを知る重要な手がかりだなあと思いました。

 

そういう意味で、同じく織枝の友人中村典子を演じた内野友満さんと古賀チカを演じた丹野泰恵さんも、同時代の女性像を端的に表していたと思います。

 

典子の「実家は魚屋!」というセリフが頭から離れません、というのは冗談で、あの明るさにホント救われましたね。

 

チカは高校卒業時に妊婦姿で「2人目」って言ってたので、高校進学しなかった当時の一般的な女性像かなと思いました。

 

最後に、主人公の現在の織枝を演じた鈴木めぐみさん。
今までも年老いた女性役は多かったですけど、いつにも増して喋り方からヘアメイクから何からリアリティが真に迫っていて、正直恐ろしいくらいでした。
客入れ中にずっと、公園で暮らすいわゆるホームレス状態の人の日常を見せてくれていたんですけど、年老いた人特有の関節の可動域が少なすぎる動きがリアルで、さらにホームレスの清潔を保てない感じが随所に散りばめられてましたね。

 

織枝が最後に舞台中央で押していくアイスクリーム売りの手押し車には、色紙で切り抜かれた子どもたちの絵があるんですが、それがまた物哀しくて……。
夫に先立たれ、車も無くなってそれでもアイスクリームを売っていくことをやめないってDIYで作ったんですよね。
何を思ってこの楽しそうな子ども達の姿を切り貼りしたのか、織枝の胸に去来するものは何かっていうのが、もうラストシーンなので十分良く分かってる訳ですよ。

 

そして、明らかに自身の子どもがいないという描かれ方をしているのに、そのことが一切言及されていませんでしたね。

表現しないという表現だったのかなあと推測しています。

子どもを持ちたいけど、おそらくは持たないで一生を終えるだろうと考えている身近な人たちが聞かせてくれる感覚は、多分織枝がそうなんじゃないかなっていう気がするんです。

それをまた自分自身で口にしないことが、大きな意味を持つ気がします。

 

少し戻りますが、終盤でお姉ちゃんたちがみんな死んでいくところで、ゆっくりと鈴木さんの織枝が現在の織枝の棲家である公園から、長屋エリアへと移動して、過去の織枝と一緒にお姉ちゃんたちの話を座って聞いたりして、段々幼少から描かれてきた物語と現在の織枝が融合していくんですけど、すごく綺麗でした。
鈴木さんの織枝は、これは普通に考えたら悲しい思い出なのに、にこにこしながらその物語の中にいて、こうしてお姉ちゃんたちを思い出すのが癒しなんだなって。

悲しい思い出も、思い出すことが癒しになるくらいに大事にしてきて、それは努力の結晶なんだろうなって。 

 

アンケートでも自分語りしちゃったんですけど、私偶然観劇の前日に100年表ってアプリで自分が100歳まで生きるとしたら何歳のタイミングで何が起こるのかシミュレーションしてたんですよ。
だからシンクロ率半端なかったですね。
特に「あ〜私が◯◯歳の時に家族の誰々が死ぬのか平均寿命的に」みたいなことがちょっとした絶望感あったんで……。

 

最初に私が劇団桟敷童子を観たのは約10年前の、既に旗揚げから何年も経って脂が乗ってる時期だったんですが、まあ有り体に言うとあれからお互い老けた訳じゃないですか。
老後とか考えちゃうじゃないですか。

今までも年老いたキャラは重要な登場人物として何回も出てきましたけど、主役に据えられたのって私が観た中では初めてでした。


年老いて家族も友人も家も車も商売もお金も失った織枝というキャラクターを、こんなにも真っ正面から、そして他人事じゃない感じで取り上げたのって、やっぱり作り手側が歳を重ねてきたからこその作品なんじゃないかなって思いました。
老後について考えるってさっき書いたみたいにだいたい後ろ向きになる人が多いと思うんですが、老いに対して「生きろ」っていう答えを出せちゃうのがすごいなと思いました。


そしてその答えをたった2時間10分で描きいたのがすごいなって思いました。

体感的には2時間くらいだったんですけど、内容的には普通これ2時間40分はかかるのではっていうくらい密度高かったですね。


次の公演は12月だそうで、今からとても楽しみです。